レオン〜グラナダ〜オメテペ島〜サン・カルロス〜
チレ・チコ〜サン・ホセ〜プエルトヌエボ〜ロス・チレス
ニカラグア・コスタリカ縦断
4月3日〜4月16日
評判の悪い2国だ。
旅行者の間では中米で一番悪口が出る国である。
ある人は自転車で走っていたら果物の種を投げつけられた。
ある人は現地人がわざわざ近寄って「チーノ!」とでかい声で言われ、大笑いで去っていった。
ある人はバスに乗ろうとしたら白人・現地人が優先されてバスはそのまま行ってしまった。
コスタリカは一応観光で飯食っているので見所があるし、そういうところに行った人ならば
それなりに扱われていい目も見ている。
ニカラグアも、私の体験であるならばそこまで酷い出来事はなかった。
チーノチーノうるせえのは確かだが、首都マナグアでは日本や韓国のことを
現地の学生さんから色々訪ねられたりする。
私の体験でいえばコスタリカの方が酷い。
ま、そんなわけで写真も超特急である。

ホンジュラスを出て最初に到着したのがレオン。
ニカラグアといえば、ゲリラや傭兵なんかをメインにおいた漫画なんかでは
よく出てくる国名だろう。
内戦時代の壁画が随所に見られる。

街中結構こんなのをよく見る。

まあ、こんな博物館があるのだからそれもそうだろう。
唯一の救いがここがカンボジアのツールスレーンのような虐殺記念館じゃないということだ。
写真の方々は当時の闘士・・・だと思いました・・・はい・・・・

街中自体は普通の町だ。
ま、平和になったってことなのだろう。

というわけでレッツゴーと次の町に向かう。
マナグアは通過。
その次は月面都市じゃなくてコロニア調の町、グラナダへ。
だがはっきり言ってコロニア調の町は好きではない上アンティグアに一ヶ月も居た人間が
改めて感銘なぞ受けるわけが無い。
だから写真が一枚も無いのである。
おまけに、うん、マナグアで学生さんに会った。
そういやレオンからマナグア来る時も言われたな。
あいつらブランコ、白人だ。
仲悪いのねえ・・・
確かにあの町並みはなああ・・・

というわけでグラナダから船でニカラグア湖に浮かぶ島、オメテペ島へ。
ちょうどセマナサンタという、中米でのお祭りの時期だったので喧騒を避けたかったのである。



船自体はこんな感じのもの。
小さい船に人でいっぱいである。


で、ここで飲んだくれていたわけだ。
左のおっちゃん、ごめん。潰しちゃって。

もうね、メガトロンでつぶれかけてますはい。
私も結構べろべろだったと思う。

うん、いつ撮ったか覚えてないもんねこんな写真。

好きな写真なんだがTシャツが全てをぶち壊していると思う。
日本アニメ調の絵も時と場所を考えてほしい。

というわけでオメテペ島を後にする。
このまま進めばコスタリカへの国境はすぐなのだが、
根性が捻じ曲がっている私は北側の国境、サン・カルロスへ向かうことにした。

道も悪かったし、何しろバスが窓があんま開かない、私も立ち尽くしでほんと暑かった。
てえかコスタリカにそのまま行けば良いのに首都マナグアに戻ってバスに乗りなおすなんて
ほんと阿呆かと・・・・・・

サンカルロス。
川沿いの町だ。
川を遡ればコスタリカである。
隣国コスタリカまでの道のりはちょっとしたリバーアドベンチャーだ。


船というか、ボートで国境を越えるのもおつなものだ。

イミグレーションをボートで後にする。

道中、色々な動物であふれていた。
それもそのはずで、実はこのまま遡り続けるとコスタリカの国立公園に出る。
だからこれ以後コスタリカ名物の国立公園には足を踏み入れなかった。
感情的な部分もあったがここで見てしまったから、
「ま、いいや」と思ってしまったのだ大きいと思う。
で、コスタリカ側の町、チレ・チコに到着となる。
ここからがもう私にとっては精神的苦痛の連続だったのだ。
あえて言っておくが、コスタリカは中米では一番豊かな国だ。
で、おまけに白人が他の中米諸国に比べて多い。
だから、そう、へんに鼻っ柱が高い。
だから中国人を始めとする黄色人種はおろか、
有色人種を見るとすぐ馬鹿にしてかかる。
宿の婆におもいっくそ
「チャンチュンチャン」
を連発される。
ニカラグア人が「コスタリカ人だから仕方ないんだ」
と妙に同情してくれたのが印象的だった。
町自体は落ち着いてよかったのだがこれで全てぶち壊しである。
よりによって宿の婆(30代と思われるけどあえてこう呼ばしてもらう)が言うかね。
で、サンホセの道中、バスがエンコしたため代わりのバスが来るが、
なんとそこで乗車拒否。
中国人は後、後と。
1960年代のアメリカかよここは。

サンホセの博物館から。
上の穴は全部弾痕である。
コスタリカにもそんな時期があったのだ。


サンホセ自体は、大きくは無いがこんな感じの町である。

だが、そんなコスタリカでも一番思い出に残ったのはここだ。
コスタリカのサッカー選手の写真が飾ってあるのだろう。
昼真っからビールをあおっていた。
そんな傍ら、ラジオから流れたのは・・・
「う〜え〜を〜むぅ〜いて、あぁ〜るこぉぉぉ〜・・・」
なんでこれが流れたのか判らない。
だが、ほんと、海外で思いがけない日本の曲に出会うとしんみり来るねえ・・・

で、バックパッカープレイス、プエルトヌエボを抜け・・・・

パナマ国境、ロス・チレスへ。
やっと中米も終わりに近づき、そこから南米が始まる。
この線路を向こうに抜ければそこはパナマだ。

そうして、一路パナマシティへ。
そこまで出れば、南米への道が開ける。
日本を発って4ヶ月近く。
やっと、やっと南米なのだ・・・
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