マチュピチュ
7月15日
皆があこがれるマチュピチュ。
だが私はその当時その価値を知らず、日本に帰国後、
色々な人に訪ねられる度にその価値を認識したものである。
それまでは、あ〜これね、どっかで見たことあるなあ程度の認識だったのだ。
標高1500m、ペルーのインカ遺跡の中では比較的低い位置にある遺跡だ。
しかし、スペイン人に追われた後、こんな大規模な遺跡を築けるほどインカ帝国は未だ力があったのだ。
スペイン後のインカ。
いったいどの程度だったのだろう。
インカ帝国が封建制だったことは間違いないらしい。
皇帝の力が無くても諸侯が生きていれば力は残る。
このマチュピチュ遺跡はそんなことを物語る遺跡なのだろうか。
もっとも16世紀の遺跡なので、安土城なんかと同時期と考えると普通なんじゃないのか、
単に彼らの土木技術を我々が過小評価しているだけではないのかとか思わないでもない。
彼らはこの遺跡を放棄してどこに消えたのだろう。
ほんと文字を持たない文明は難解だ。
インカ、アステカ。
これ程文字の有り難味をつくづく思い知らされる文明は他に無いのではないのだろうか。
まあ、魏志倭人伝と日本書紀、風土記、古事記頼りの5世紀以前の日本も似た様なものか・・・

朝方のマチュピチュ。
翌日4時起きして、ここまで2時間かけて歩いて来たのは、
遺跡の中の人を撮らないためだということだった。
いやあ、若い連中に付き合った甲斐があったと言うものだろう。

雲がかつての町に上ってくる。

全盛期はこれら建物にすべて屋根が付いていたのだろう。
それはどんなものだったのだろう。
ていうか誰かCGでやってそうなんだがなあ・・・

街中のアップ。
撮影したのは50mm標準レンズF1.7と、28〜108mmF3.2だ。(フィルムカメラ撮影)
朝方なので108mmで撮ると非常に難しい。
ぶれずに撮るのは難しいのだ。


まあ、似たような写真を何べんも撮ってしまうのである。

本格的に日が昇ってきた。

やっと寒さから解放されたものである。

こんな写真が撮れるのも朝方早く来たからだろう。
これが昼時だと芝生の代わりに人になる。

マチュピチュの写真の奥はワイナピチュという山。
これはその頂上から撮ったマチュピチュだ。

で、バカ丸出しだ。

マチュピチュの中。
結構急勾配だ。
まあ、車輪使わないからこれで構わないのだろう。



マチュピチュ堪能後、再び徒歩でアグアスカリエンテスへ。
ここマチュピチュ〜アグアスカリエンテス間は普通はバスで来る。
その間、ヘアピンカーブの連続した道なのだが、このヘアピンをショートカットして、
「グッバイ」
と叫び続ける子供たちが居た。
かの有名なグッバイボーイである。
上から下までグッバイと言う子供たちが同じなのだ。
この写真、実はそんな子達のショートカット道だ。
写真からは判りにくいが、確かに人が踏み分けた跡があった。
試しに一度チャレンジしてみたが、体力の無い私でも、
場所によってはバスより先に出ることが可能だった。
ちなみに今はグッバイボーイは居ない。
危険なので政府が禁止したとのこと。
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