チャチャポヤス
6月26日〜6月29日
朝8時にスンバを発ったにも関わらず、サンクリスティアンで次の町へのバスの乗換えで一時間ほど待たされる。
まあこんな辺鄙な田舎町なので仕方がない。

だが、その次の町に着いたは良いが、もう夕方になっていた。
本当はその日のうちにチャチャポヤスに到着したかったのだがもう無理だろう。
バスターミナルで話を聞いてみるに、チャチャポヤスへ行くには更に別の町でもう一回バスを乗り継ぐらしい。
ガイドブックにも載ってないような町なので、外人自体来ることが滅多にないのだろう。
みんな子供たちは私に興味津々だ。

え?何だこの写真?文章とは関係ありません。
単にそこまでのバスからの情景の一部です。
仕方が無いのでその町で一泊となる。
ちなみに私がガイドブックを持つ最大の理由は、宿探しがめんどくさいからだ。
それが無いので重たい荷物抱えての宿探しはつらい物になるのが嫌なので、
最初に見つかった7$の宿に決めてしまう。
10$じゃなきゃいいのよ10$じゃなきゃ。
翌朝、早朝に起き、バスターミナルへ。
そして次の町に行くが、バスターミナルがどうも見つからない。
タクシーの運ちゃんからは
「バスは無いだぎゃ!タクシーならチャチャポヤスは15$だぎゃ!」
と言ってくるが、そんなの信じられないと思い、もう一息探してみると、
バスの看板がある。
やっぱりあるじゃん・・・
と看板目指して行ってみたら、ちょうど別の場所、おそらくトルヒーヨあたりから出発したバスが
到着していた。
額は7$相当。
この日のツキは我に有り!
午後二時発チャチャポヤス行きのバスに乗り込む。
結構良いバスだったと思う。

バスの情景は、平野から山がちになる。
そうして坂も上がりきったところに、雨がちなチャチャポヤスがあった。

まあ、こんなこじんまりとした町だ。

チャチャポヤスは一応その交通の便の悪さ
(といってもトルヒーヨからはバスで一本なんだけど時間が係る)
の割には一応ガイドブックにも載っている。
ちなみにチャチャポヤスから更に山奥に入ろうとすると更に悪化(バスが週に二便とか三便とか)になる。
何故そんな所が載ってるかと言うと、プレインカの遺跡がそこにあるからだ。
そのうちの一つに行ってみる。
基本的にインカ文明の遺跡はほとんど山の上や、砂漠の真ん中だ。
この遺跡は山の上の要塞という形で今も残っている。
これもその一部というか、山のてっぺんに要塞を作り、その下から居住地が並ぶ以上、
現在までその形態が維持されてしまう。
そう、その畑も昔からあった可能性もあるということだ。
と偉そうに書いてるが、実はこの時前日飲み過ぎて腹を壊して、
ドライバーに近所の便所ある家に寄ってくれ早く!
と頼み込んだのもこの時だ。
だってさあ、飲み屋のオヤジに奢られちゃあ飲むしかないでしょう。
ペルーの飲み屋で、
「ペルーのラムくれ!」
は禁句だ。
ラムがコップなみなみ注がれて出てくるだろう。
「おい、いくらだよこれ!」
「いんや、それは俺のおごりだ!」
ああ、ラテン、ラテン、酒飲み天国・・・
ここで、かつてのフジモリ大統領の話を聞く。
「フジモリは良かった!彼が大統領になって、初めて電話も、学校も道路もできた!」
「トレド?はん、マスメノス(mass o menos、まあまあと言う意味だが限りなくBadに近い)だな」
フジモリさん、西欧各国で評判悪いが本国ペルーではこんな評判なのだ。
議員全員首切ったって話も、聞けば上院議員は全て終身議員。
そう、自分から辞めたいと言うまで辞めなくて良いのだ。
そんなむちゃくちゃを正した最初の大統領がフジモリさんだったらしい。
で、そこに文句つけたのがアメリカ。
曰く
「非民主的だ!」
むっちゃくちゃやね・・・
ここで評判が良いということは、地方は総じてフジモリさんよりなんだろう。
多分、リマにばっか行ってた金を地方に撒いたということなんだろうねえ。
ペルーのそういう事情を知るから、今のタイのタクシン人気も理解できるのだ。
バンコクに投資しすぎだろう、タイも・・・

そんな山の上のてっぺんは、このような石垣が現在も残っており、
政府としても地方の重要な収入資源である以上、保存に熱心なようだ。
といってもこんなことやってるのはフジモリさん以降らしいのだが・・・

で、意味も無くやっぱりリャマが居る。
本当に無意味に居る。

要塞への入り口もこのように綺麗に残っている。

現在は草もボーボーだが、今行ったら綺麗になってるかもしれない。

墓も残っており、中には人骨(ナンマンダブ)もみえたりしてしまうのは如何だろう・・・

で、記念撮影。
ペルー人のオヤジにコマネチをさせたのは私が最初で最後に違いないと今でも確信している。

しっかしよくもまあこんな所に要塞なんぞ造ったねえ・・・
ちなみにここに来るメインの最寄のアクセスはトルヒーヨという海岸の町だ。
私が次の目的地としていたのはカハマルカと言う、
インカ帝国の皇帝がとっ捕まった場所であり、温泉地としても有名な場所だ。
そこもやっぱり山の中にあり、カハマルカもやはりトルヒーヨがメインのアクセス地となっている。
そこまで道はあるのだが、バスがあるかどうかが判らない。
折角だし、まだ海は見たくないのだ。
探してみると、あるにはあった。
カハマルカからバスで3時間の地、セレンディンまで行けるらしい。
朝7時半発。
バスは・・・週にたった二便・・・
で、明日出るというではないか。
今日行った要塞は、現地ツアーで行ったのだが、そこにはまだ他にも遺跡があるらしい。
そこにも惹かれるが、まあしょうがないよなあということでバスを申し込み、さあ明日は出発だと寝て、
翌日バスターミナルへ行ってみる。
へ?バス明日?だってこのチケット・・・
ギャーー!本当に明日だ!
あっはっはっはっはっは・・・
というわけで元の宿に再度チェックインし、もう一方のツアーに参加する。
何でもモアイがあるらしいのだが・・・

こんな感じの山道を一日中延々と歩くことになる。

川べりの住居跡。
こんな所に人が当初から住むわけがない。
川は遥か下である。
川の浸食だとしたらあまりにも速すぎる。
あとは・・・地殻変動・・・
アンデスって日本じゃ考えられないくらい地殻変動凄かったんじゃないんだろうか・・・

中はこんな感じ。よくもまあ残ったもんだ・・・

で、これが名物モアイ。
はっきりいって小さくちゃちいのだが、話を聞くと、どうもこれはご先祖様らしい。
ようは先祖崇拝なのだ。

こんな風に人骨も置いてある。
ようは墓場なのである。
その上にあのモアイが乗っているのだ。
この対岸にかつて人の集落があったのだという。
その集落とこの墓場は川を挟んでおり、
ようはその川が三途の川なのだろう。
そして、あのモアイは現世の人間たちを見守っている死者の像なのだ。
そう考えると、何ともあったかみのある像ではないだろうか。

で、記念撮影。
スイス人、ノリノリでやってたのが印象に残っている・・・
そうしてへとへとになった私は飲み屋にも寄らず、飯食って速攻で寝る。
正直3000mもある土地で山歩きはしんどい。
だが、明日はこの地を離れる。
それに失敗すれば、私はトルヒーヨ直行という屈辱のルート(何が?)か、バス待ちぼうけと言う
悪夢の選択肢しかないのだ。
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