Ciuda de Mexco

2003年12月23日〜2004年1月2日


なんで中南米なんだ。
私は本当は中央アジアに行きたかった。

なのに、私が居た所はなぜか、

標高2000mもあるおかげで四六時中息が切れ、
南にあるからあったけえだろうと思っていったらフリース着こまなあかんほど寒く、
ボクシングとプロレス(ルチャ・リブレ)しか印象の無い

メキシコに居たのである。
今から思えば不思議だ。
何で居たのだろうか。

出発が12月だったせいで中央アジア行っても寒いだけだろう、だったらあったかい中南米の方がいいじゃないか。
そういう思いもあった。

興味ないから飽きるだろう。だったらパナマあたりからトルコにでも飛んでいっちゃえ。
そういう思いもあった。

だから、メキシコに居たのである。
それが、思えば長く楽しい中南米の1年の始まりになった。

2004年
こんな自由に過ごした1年は未だかつて無い。




初めて撮った写真は、アジアと変わりないマーケットだった。
この時滞在していたペンションアミーゴの人からは「一眼レフなんざ出さないほうがいい」
と言われていたものだからビクビクして撮ったものだ。




事実、こういう風に出さないほうがいいのだが、まあその辺は運と状況判断にもよる。
メキシコシティーのタクシーや地下鉄の被害等はよく聞く話だ。
用心に越したことは無いが、この時、この写真を撮ったときは、初めての中南米ということでビクビクしていたものである。

そういえば、この時は市場、マーケットと呼んでいた。
タイ・ラオスではタラートと呼んでいた。

旅して2ヶ月。
気が付けばスペイン語で
「メルカド」
と呼んでいた。




だからこんなのも実はビビリながら撮っている。




メキシコはキリスト教カトリックである。
だが、バチカンから遠く離れたこの地では、その土地独自の神様がいる。

名をブラックマリア。
黒い聖母。
インディヘナ達の聖母。
そして悲しい歴史・・・・

12/25、この日クリスマスであったから、やっと時差ボケが解消しつつあったこの日、
セントロ(中央広場)まで足を伸ばした帰り、このような格好をした人々と記念撮影をする現地の人々を見る。


                                    

                    




そうしてセントロまで辿り着く。

ペンションアミーゴからここまで5km、歩いて1時間程度なので歩けてしまうのである。



ついでなので、テンプロマヨールを見物。
工事で街中を掘ったら遺跡が出てきたというので大慌てだったらしい。

それもそのはずで、この地はアステカ帝国の首都だったのだ。
それを全部埋めて現在のメキシコシティーがある。
なんとも・・・




発掘現場そのものといった感じだが、石と石の隙間を埋めているものがどうも新しい気がする・・・
復元かと思いきや、発掘現場の写真見る限り、当時と変わらないようだ。
長い間土中に埋もれていたせいで綺麗に残ったのだろう・・・



だから当時の色もこんな感じで残っている。



              


一歩外に出ればこんな感じだった。

セントロは、ここから南、どの国でもにぎわっている。

     





     



帰りがけ、取材陣に囲まれた一群を見つける。
私も何事かと取材陣に混じって写真を撮ったがこれが誰だかわからない。
いったい何をやってるんだ俺は・・・








メキシコにもかつては列車が走っていた。
いや、今でも走っているらしいがオアハカまでの列車の情報は聞けずじまいだった。
きっと、一週間に一本とかそんなものなのだろう。
この道をまっすぐ行くとメキシコの大使館街に行く。

なんでそんな所に行くかと言うと、メキシコの次の国、グァテマラへはビザが必要になる。
日本人ならノービザなのだが悲しいかな、こういう時は籍が韓国なのでビザが要るのである。
我が祖国は知名度において日本、中国に比して遥か劣るのである。

地球の歩き方の地図片手に歩き回ったがうまく到着できなかった。
だが住所は記載されていたのでそれを元に歩いてみるがやっぱりうまく着かない。
しょうがないので警察にここに行きたいと説明してみた。

パトカーに乗っけられて、傍まで連れて行ってくれた・・・
案外やさしいのね・・・
しかし、異国に来てパトカーに乗る羽目になるとはおもわなんだ。
まあ、犯罪犯して乗るわけじゃないのでなんとも変な気分である。

グァテマラのビザはあっさり取れた。
日本じゃ50$で翌日発給だったが、ここでは25$で1時間後に発給してくれた。
なんとも幸先はいい。


その後は韓国大使館に寄る。
パスポートの6ヶ月期限が事前に控えていたのである。
日本で延長をかけようとしたが、6ヶ月前じゃないと受け付けないとかぬかしたので
旅行中にやる羽目になったのである。
このままいけば、2004年4月には6ヶ月を迎える。
おそらく計算ではそのときはパナマに居るだろう。
パスポート更新がどのくらい時間がかかるか、さっぱりわからない。
どのタイミングで更新をかけるか、パスポート更新に要する時間で決定せざるを得ない。

韓国大使館には意外と素直に着いた。
だが、大使館の職員のお姉ちゃんには英語が通じなかった・・・
スペイン語と韓国語のみだったのだ・・・
困った、さあどうしたものか、しょうがない、日本に一旦電話しておふくろに通訳頼もう。
電話代は・・・情報料だ仕方が無い!

おかげですんなり全部情報を手に入れることができた。

パスポート延長にかかる時間は1ヶ月!
更新する場合もまったく同じ!
まいった、これはまいった。
で、手続きの書類はオールハングル!
私がハングルなぞ読めるわけが無い!

まいった、これはまいった。
1ヶ月もかかるとなると、当然これは現地に長期間滞在せねばならないことを意味する。
長期間滞在するに安心する土地はメキシコか、次のグァテマラしかない。
だが、正直メキシコシに1ヶ月も居たくない。
居たら鬱になるだろう。私は行動がしたいのだ。

よってその場でグァテマラで更新をかけることを決断する。
あそこだったら日本人宿もあるし、その間スペイン語を格安で学ぶことも可能だろう。

書類は、お袋と係員の間でうまくしてくれた。
お袋の回答で係員が全部書いてくれたのだ。

係員はここに一月居ることを勧めてくれたが、私はグァテマラで待つということを告げると、
グァテマラの韓国大使館に連絡してくれた。
これでグァテマラに着いたら、写真とパスポート、書類を出すだけでOKになる。

こういう時、韓国人の情に厚い性格がもろに出るのだな。
韓国人はすぐ感情的になりやすい。

これはどこで暮らしても民族性であるが故どうしようもない。
うちの家族兄弟見てるとつくづく感じることである。
だが、時にはそれが親切という面で出てくるのは、利点ともいうべきであろう。

その時私はつくづくそう感じたものである。

さて、こんだけやりとりして電話代は相当なものになるだろう。
電話代はいくらか聞いたら、係員は笑って告げた
「ここは大使館なのよ?」

感謝するしかありません・・・
けど、タイとかアメリカだったらきっと取られるんだろうなあ・・・




そうしてクリスマスパーティー。
日本人宿、ペンションアミーゴの皆とである。
ほとんどが私同様南下組である。
一部はグァテマラ・コロンビア・ペルー・ボリビアで再開する。

メールというのは便利であり、いつ、だれが、どこにいるのか、どこで沈没しているのかある程度把握できる。
だから、お互い追いつかれまいと必死だった(笑)


そうしてここで新年も迎える。

思えば29年生きてきて海外で新年を迎えるのは初めてだ。
皆とセントロまで繰り出した。
現地人にHappyNewYearとばかり泡を掛け捲り、まあ、ひどいものだ(笑)

帰りは自家用車にて15人乗りを始めて体験する。
いやあ、アメ車はでかいねえ・・・







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